この人どんな人?

愛知県のクリニックに勤務する理学療法士のブログ

クリニカルリーズニング③ ~主訴~

æé ç· å ä¸ç ç ç· ãåã ç·æ§ ããã㯠ãããã ã¤ã©ã¤ã© ç¦ã ç²¾ç¥ç éå§ å¿é ä¸å® ãã©ã¹ãã¬ã¼ã·ã§ã³ 追ãã¤ãããã æè¨ ã·ã«ã¨ãã å¶éæé ã¿ã¤ã ãªããã æ··ä¹± æ©ã æ©ã¿ ããããã å¿ãã æãã ãã å¯ä¸è¶³ ç¡ç ä¸è¶³ ç¹å¿ éç

 

入職当初、初めて症例をみさせてもらった後
「この人どんな人だった?」
と先輩から聞かれました。

初めてのフィードバックです。
とても印象に残っており、ブログタイトルに採用したほどです

 

肝心の返答ですが
「スクリューホームムーブメントが崩れていて、それが痛みの原因かと思います……」( 変形性膝関節症の症例 )
という、今思えばかなり恥ずかしい返答をしました。
根拠はゼロです。

先輩から微妙な反応が返ってきたのだけ覚えています

 

微妙な反応なのは当然で、求められた答えは機能的な話ではありませんでした

確認されたことは、この人の主訴は何?という非常にシンプルなものです


ここでいう主訴とは、患者さんの悩みという意味です。
ならこの場合は「膝が痛い」が主訴でいいじゃないか、と思われるかもしれません
紙面上に残す主訴はそれでもいいかもしれませんが、きちんと主訴を捉えることは意外と簡単ではありません

 

 


1つの例で考えてみましょう

数週間後に大会を控えた高校3年生の野球部員がいたとします。
野球部のエースである彼は、肩の痛みで思うように投げられない状態で皆さんの前に現れました。
彼は野球部の大黒柱であり、監督やチームメイトも彼に大きな期待はよせています。
彼の存在により、開校以来の甲子園に行けるかもしれないという空気まで学校中に流れている。
彼は誠実で責任感の強そうな印象です。
そんな彼の主訴は「肩が痛い」と単純に言っていいものでしょうか?

 

Giffordは、疼痛メカニズムを入力、処理、出力の3つのメカニズムに分類して評価する、『成人の生命体モデル』を発表しています。すべての痛みに対する訴えに対し、多様な因子に関して考察することを促し、痛みを深く考察することを可能とするものです。

 

3つのメカニズムについて詳細を省きます。

 

簡単に説明しますと、二人の人物が全く同じ程度の疾患・損傷を有していても、二人の痛みの感じ方は異なるはずです。その違いは、信条や感情、過去の経験などによって3つの疼痛メカニズムに影響を与え、感じる痛みが変化している可能性が考えられます。

要するに、疼痛の感じ方はどんな人物なのかによって決定されるということです。

 

 
医療機関に来る人々は、それぞれに何らかの理由・事情があるはずです。

仕事や部活、学業もしくは恋愛なども複雑に関係してくるかもしれません。

彼の場合は、投げられないことへの葛藤や焦り、チーム・学校上での立場から周囲に相談できない・練習を休めないなどが想定できそうです。そして、それらが出力・入力系のメカニズムとして疼痛を増悪させている可能性が推測されます。

 

したがって、もしこの例の症例に対して「この人どんな人?」と聞かれれば

「肩の痛みにより、ピッチャーとして満足な投球ができないことを焦っていて、立場上、周囲に相談できない人」

と答えるかもしれません。

 


ブログで何度も取り上げているエキスパートの先生は「俺と話し始めると患者さんが泣き始める」と講義で語ったことがあります。
患者さんの中には、今まで受けてきた医療機関や周囲の対応を含め誰にも言えなかった悩みを抱えている人もいます。
なかには「本当に痛いの?」と周囲に疑われ傷ついた人もいるかもしれません。
そういった背景を含め、「やっと自分の悩みを分かってくれる人に出会えた」
という安心感と安堵から涙を流したのだろうと先生は説明していました。

 

これこそが主訴をとらえるということなのだと思います

 

取り巻く環境や立場、心理的状況なども含めて、本人の抱えている悩みを本人が感じているようにこちらも受け取って初めて主訴をとらえたといえるのではないでしょうか? 


そして、主訴こそが理学療法の介入の重要な方向性を示すもののはずです。
主訴が変われば介入も変わってしまいます。仮説カテゴリーの『機能制限』『患者の考え』などに影響を及ぼし『戦略』も変化するでしょう
場合によっては、on-handsの治療をせずとも、会話をするだけで満足して帰る人もいるかもしれません。


その人がどんな人物なのか、主訴は何なのか、深く理解しようという態度を忘れずに介入していきたいですね。